- 中国 (華北)
- 2024/03/18
新興市場を目指すということ
中国市場を目指す話は始まってから既に長い年月が過ぎている。
最初に中国市場に本格的な進出を目指す姿を目にしたのは1994年、黒竜江省の世界的酪農品メーカーの工場を訪れた時のことだった。
双城市郊外の農村地帯に朝車で向かうと朝もやの中に城のような工場が現れた。
営業開始前に着いたためしばらく白樺の並木が続く道路脇に車を止めて時間調整をしていた。
すると朝もやの中から1台、そしてまた1台とガソリンタンクのようなものを積んだ馬車が次々に現れてくる。
当時の中国では滅多に目にすることのない不思議な光景だった。
この馬車群は次々に城のような工場の門を通り過ぎ、塔のような建物の方へ向かっていく。
営業開始時間後にカナダ人が工場を案内してくれた。
すると塔の脇にさっき見た馬車が延々と並んでいる。
タンクにんホースが繋がれると一気に何かを吸い取っている。
これは牛乳だったのだ。タンクいっぱいにミルクを積んだ馬車。
そして馬車からホースで塔にミルクを吸い上げる工場。
塔の先の建物に入ると次々にミルク缶に粉ミルクが入り、製品化してベルトコンベアの上を流れていく。
これが中国国内市場販売の現場であった。彼らはUSドルではなく人民元のファイナンスを欲しがっていた。
何故なのか。その後、収入が全て人民元であることを告げられた。つまり資産サイドに人民元がどんどん入ってくる。支払いもそのまま人民元にしたい。しかし当初投資した設備の資金がUSドルなのだ。
為替バランスを取るためには人民元が必要。そして人民元がなければそれは人民元切り下げの為替リスクにさらされる。
そこから私の中国系金融機関周りが始まった。
中国の銀行は外資企業、しかも進出後、まもない赤字の企業に保証なしでは貸さない。
つまり我々が代わりに保証を入れるチャンスがあったのである。
Standby L/Cを中国の銀行に差し入れ人民元のファイナンスをつける。
これにより黒龍江の工場は為替リスクから解放された。
ここから次々にこの手法で中国北部の欧米系企業への参入が続いていく。
つまり皆、中国に来た目的は中国市場であった。
当時中国に来る日本企業は日米市場への輸出を目的とし、労働コスト削減に主眼を置いた進出であった。
全くニーズが異なっていた。
それから約30年の月日が流れた。その間、2004年には総合商社の中国内販ライセンス取得第1号の交渉にも関わった。商務省との厳しい交渉だった。
今や日本企業はそれが当たり前のようになった。これからもその流れは続く。
「輸出」を目的とした進出は今や「中国市場」へと変化した。
この流れの変化を約30年間、目にしてきた。
どこの市場でも同様の変化が進む。
この欧州系メーカーの幹部が言っていた。
我々はこのパターンを世界100数十カ国で展開してきた。
新興国は同じ流れを歩む。早くに入りシェアを取る。製品は徐々にグレードアップする。
それが新興市場を攻めるということだ。
今は購買力がないからやらない、購買力がついた時に見合ったものを投入する、ではそれまでに蓄積された市場特性、ひいては創造された嗜好に立ち向かうのは難しい。